父は私のお願いに対して、いつもこう返事をした。
「ん~」
父、といっても義理の父である。
そして彼は私の妻である幸子の父だった。
私が幸子の父に会ったのは私が28歳、幸子が25歳のときだった。
幸子の家を三度目に訪れたとき、私はとにかく自分の思いをぶつけることに決めていた。
「お父さん。幸子さんと結婚させてください。幸せにします」
父は言った。
「ん~」
「だめ」でもないし「よし」でもない。
こんな宙ぶらりんな言葉はない。
結局その日もそれで引きさがることにした。
しかしそれが一年と続いてしまった。
回数にして21回である。
さすがに私も疲れてきた。
だから幸子と相談した。
「どうする。これじゃ結婚できないぞ」
「いいわよ」
「いいって、どういう意味だよ」
「いや。だからさっさと籍入れましょうよ」
「でもそれじゃお父さんが」
「いいのよ」
「でも、お前がいったんだぞ。お父さんの許しがほしいって」
「ん~」
「あっ。お前もいってる」
そういうと幸子は笑った。
確かに幸子のいう通りかもしれない。
その翌日、私たちはさっさと籍を入れることにした。
それから20年後、父が突然倒れた。
父、といっても義理の父である。
庭に水をまいているときだったらしい。
病院に駆けつけると病室にはすでに幸子がいた。
「お父さん、お父さん!」
幸子は興奮しながら父に話しかけていた。
ドクターと話をすると脳梗塞だという。
かなり危ない状態らしい。
私は意を決していった。
「お父さん。幸子さんと結婚させてください」
私は久しぶりにこの言葉を口にした。
ショック療法にならないかと思いながら。
幸子が思わず振り向いた。
しばしの沈黙があった。
そして父はゆっくりと微笑みこう言った。
「う~ん」
涙目の幸子がまた振り向いた。
幸子も少し微笑んでいるようにみえた。
私はすかさずこう続けた。
「お父さん。死なないでください」
すると今度はこう言った。
「ん~」